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はたらくことの意味は、だいたいドラッカーが教えてくれた。

働くことの意味、人生の意味を喪失した私が、ドラッカーと出会い意味を取り戻していくまでの、10年とちょっとの人生記録。

それは「生きている」と言えるのだろうか?

 (↓↓↓はじめかた読む方はコチラ↓↓↓)

drucker-teachings.hatenablog.jp

 
ここまで3回にわたって私のサラリーマン時代、鬱病になった頃のことを書いてきた。まだまだ書けることはいくらでもあるのだけど、この調子ではドラッカーにたどり着くまで時間がかかりすぎるので、この時代の話は一旦まとめに入る。

 

 

「組織のために、人は大切な何かを犠牲にすべきなのか?」

これが、この時代に芽生えた疑問だった。いや、正確には子供のころから感じていた疑問だったかもしれない。

もっと言うならば、
「社会のために、人は大切な何かを犠牲にすべきなのか?」
となる。

人が、いや自分という存在が、社会のためだけに生きているとするならば、自分の人生などというものは存在しないことになる。単なる社会の歯車でしかなく、自分は自分でなくて良いということになる。

それならば、自分は何のために生きているのか?

 

 

人と人とが手を取り合い協力し合うことはもちろん大切だ。組織も社会も、人と人とが協力しあうという事が大前提となる。しかしそれは、組織のために自分を殺すということと同義ではない。

たしかに組織は存続し続けなければならない。そのためには売上や利益をあげるという事が必要なのも分かる。しかし、組織の存続が目的化し、もっと大切なことが疎かになっていく状況に、見て見ぬふりをして組織に順応していくことが正しいのだろうか?

明らかに、私だけが浮いていた。違う価値観と、考え方を持っているように思えた。言ってはいけない事、「それを言ったらおしまいじゃん・・・」という様なことを平気で口に出す、煙たがられる社員になっていた。

 

 

はじめはただ、「お客様のために」仕事をしたいだけだった。自分が社会の役に立ち、それでお金をいただけることが幸せだった。

しかし現実を見ればみるほど、そして考えれば考えるほど、そのお客様という存在もまた社会の人であり組織の人であるという事に気付いた。大切な何かを妥協して、社会や組織に吞み込まれてしまった人々のように見えてきたのだ。

「お客様のため」「世のため人のため」という思いが、どんどん空虚なものに思えてきた。そして「生きるために働く」という無機質なものだけが手元に残っていった。

 

 

「生きるためだけに生きる」
このことに、何か意味はあるのだろうか?
それは生きていると言えるのだろうか?

高校生から大学生にかけて、身近な人を何人か亡くしていた。人はいつか必ず死を迎えるということが、私の中では当然の事となっていた。やがていつかやってくる死までの時間を、いかに生きるかが問題だった。

 

 

「自分の仕事がお客様を笑顔にする」ということが、当時の私にとっては働き甲斐であり、生きがいを構成する一筋の光だった。しかし、組織も社会も生きるための妥協の産物としか思えなくなった時、その光は光ですらなかったと感じた。

この社会全体が、生きるために生きること、つまり生存欲求の無限ループのように思えた。この社会に自分がなにか貢献しても、それは永遠に続くループの続きを生み出す行為にしか思えなくなった。私が死のうが生きようが、地球と人間が存在する限り、この世界そのものが半永久に続く、欲望の無限地獄のように思えてならなかった。

 

 

いくら考えたところで、なんの光も見えなかった。しかし、ここから落伍することは20代にして社会に順応できなかった挫折を意味することの様に思えた。まだ、挫折を認めたくはなかった。なんとか自分なりに答えを見出そうと、しばらくは努力を続けた。

その頃、親会社に出向するというチャンスをいただいた。大きなステージに上がることで、何らかの光が見えることを期待した。その当時の世界最大のIT企業の一員として、世界最大の製造業をクライアントに仕事をするという機会に恵まれた。

そんな淡い期待は、ものの見事に打ち砕かれる事になる。

 


ある日、クライアントの喫煙コーナーで、その世界最大企業の誇りを胸にしているはずの社員同士がこんな会話をしていた。


「まあお互い、上が納得するように適当にやっときましょう」

タバコ部屋での、何てことない会話。もちろん会話をしている本人同士に、さしたる意図はない。しかしその瞬間、私の内側のどこかで、とてつもなく大きな衝撃が走った。



もはや、そこに居続ける理由は、なにもなかった。親会社への出向が解け、ほどなくして、私は退職を申し出た。残ったものは、「何のために生き、何のために働くのか?」という疑問だけだった。

 

 

【今日のドラッカーの言葉】
私が一三歳のとき、宗教の先生が「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。すると、「答えられると思って聞いたわけではない。でも五〇になっても答えられなければ、人生を無駄にすごしたことになるよ」といった。

<P.F.ドラッカー 非営利組織の経営> 

 
<コメント>
ドラッカー教授は、晩年までこの「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けたと言います。一生を通じて自らに問い続け、自らを刷新し続けました。

人は社会的な存在であると共に、精神的な存在でもあります。両者は時に矛盾し合う関係性となり、どちらか一方を追い求めることは、もう一方を犠牲にする事につながります。20代のころの私が感じたのは、この矛盾への葛藤だったと言えます。

われわれ人間は、あえて「矛盾の中に存在する」ということを選択した存在なのかもしれません。この矛盾を受け入れ、超越する唯一の方法は「自らも無限の存在である」という悟りに希望を見出した、古き聖人の教えにあるように思えます。

私たちが聖人のような悟りに至る必要はありませんが、仕事や人生を通じて自らを刷新し続け、自らを無限の存在へと近づけていくことは宇宙の理にかなっているのだと、ドラッカー教授は知っていたように思えてなりません。

  

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