はたらくことの意味は、だいたいドラッカーが教えてくれた。

働くことの意味、人生の意味を喪失した私が、ドラッカーと出会い意味を取り戻していくまでの、10年とちょっとの人生記録。

顧客ニーズは、素人の方がかえってシンプルに考えられる。

(↓↓↓小さな会社での奮闘記篇をはじめから読む方はコチラ↓↓↓)

drucker-teachings.hatenablog.jp

 

新しい職場に入社して1か月。手始めに商品企画部を設立することにした。他の社員の方には申し訳ないと思ったけれど、ここは親族経営のメリットを思いっきり使わせてもらった。正直、遠慮している暇などない状況だった。

それまで商品企画の経験などひとつもなかった。組織全体を見回して、明らかに必要なはずなのに欠けている機能だったから、そのポジションを新設してもらっただけの事だった。

最初の1か月のあいだ、受注などの基礎的な業務を覚える傍らで、ネットショップ運営の基本的な分析は済ませてあった。運のよいことに、会社は当時の業界では上位クラスの規模にまで成長していたので、最低限必要なノウハウは社内にそろっていた。

 

 

社長(父)からは、当時の店長に広告費の大幅削減が厳命されていた。売上ばかりを追いかけて、広告費は売上の15%を超えていた。私が商品企画を担当するようになった月から、広告費は「10%厳守」の指令が下った。一時的に売上を落としてもいいから、まずは広告費を適正にするよう求められた。

さらに悪いことに、広告効果を高めるためにセールも乱発していた。セールで利益率の低い商品に広告費を大量投下することで、一見すると順調に成長しているように見えるのだが、影響で定価ではモノが売れない状況に陥っていた。短期の結果を求めて、売りやすい商品ばかりを繰り返し広告掲載するので、飽きられて広告の反応率もどんどん下がっていた。


誰がどう見ても、完全に悪循環にはまっていた。

 

 

入社してまず最初に、ネットショップの顧客について知っておこうと社内に聞いて回った。顧客は主に4つのルートから来店していることを教えてもらった。
 1.検索
 2.広告
 3.ランキング
 4.リピーター(メルマガ・ブックマーク等)

検索順位は、モールの仕組み上、すぐには変わらないことも分かった。インテリアというジャンル特性上、リピーターがすぐに増える見込みは薄かった。

 

 

さらに、ネットショップ業界には “売上の公式” と呼ばれるものがあった。(実際はそんな単純化しては危険なのだが…笑)

 『売上=アクセス人数 × 転換率(購買率)× 客単価』

ひとまず、この公式に従って考えてみることにした。広告費を削減して減るのはアクセス人数だけなので、残りの2つ(転換率と客単価)をあげればよい事は小学生でもわかることだった。

 

 

社内で得た情報と “売上の公式” から、素人なりにいくつかの仮説を立てて、それを実行してみることにした。

 仮説A:本当にセールにしないと、広告でモノは売れないのか?
 仮説B:他店より高く売っても、便利だったら買う人がいるのではないか?
 仮説C:飽きられた商品でも、目先を変えれば広告を見てくれるのではないか?
 仮説D:単品を売るより、用途を売った方が顧客ニーズに合うのではないか?

これらの仮説を検証するには、ホームページを作ってくれる人が必要だった。

 


私が入社したころ、社内にページ制作をできるメンバーは3人いた。楽天の店長が1人とYahooの店長が1人、そしてアシスタントが1人。それまでは店長が販売・商品企画から広告の予算配分まで全権を持っていた。つまり、社内には個人商店が2つある状態だった。

これを組織化し、商品企画業務を引き取ることで、彼らに仮説検証のためのページ制作をやってもらう時間を確保することにした。それまで楽天とYahooでバラバラに作っていたページも、1つの素材を2店舗で使う形に変えることで、企画が得意な人は企画中心に、商品ページが得意な人は商品ページ中心に変えてもらった。

と同時に、明らかに個人の経験と勘で行っていたページ制作業務の優先順位づけにも介入することに成功した。「簡単にできること」「やりたいこと」が優先されていた状況から、「成果につながる重要なこと」を優先的に入れてもらうようにした。

 


やや強引なやり方ではあったけれど、こうして入社2か月目にして、ようやく仮説を検証に移せる環境を整えることができた。

 

 

【今日のドラッカーの言葉】
事業の分析の基本は、現在の事業、すなわち過去の意思決定、行動、業績によってもたらされた今日の事業の骨格、すなわち経済的な構造を調べることから始まる。資源と業績、活動と成果、利益とコストの間の関係や、相互作用を調べることから始まる。

<P.F.ドラッカー 創造する経営者> 

 
<コメント>
今日の業績は、すべて過去の意思決定を基盤としています。社会も人も常に変化し続ける存在である以上、組織は常に成果のあがりづらくなった過去の意思決定を廃棄し、新たな意思決定を行わなければなりません。

廃棄とは、組織の資源やエネルギーを開放するための活動です。資源やエネルギーの確保ができなければ、組織は新陳代謝という基本的な生命活動を行うことができなくなります。組織はわれわれ人間にとっての手段・道具であると共に、ひとつの生命体としての特性も持っているのです。

廃棄の第一歩は、分析から始まります。ドラッカー教授は、この段階で分析の技術的な完全さや、正しい答えは必要ないと言います。重要なのは「正しい問い」を見つけることです。組織が強みを発揮し、顧客に貢献し続けるためには、「われわれの事業はいかにあるべきか?」を探すことが、分析の目的であると言えます。



  

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小さな会社における現実。知識も戦略も足りていない!!

7年間のサラリーマン生活に別れを告げ、2006年冬に当時父が経営していた会社に入社した。それまで800人くらいの中規模な企業、日本だけで数万人いるグローバル大企業を経験してきたが、そこで初めて小さな会社を経験することになる。

父の会社は、オリジナルベッドの企画からスタートした、インテリアの企画販売会社だった。主な取引先は、当時急成長していたインターネットでの直販。それ以外にカタログ通販会社や東急ハ〇ズなどへのOEM提供。

いまや当たり前に見かけるようになったが、マットレスのカラー展開やサイズオーダーなどは、実はうちの父が日本初(もしかすると世界初?)だったらしい。ちょっとしたアイディアを盛り込んで、これまでにない「暮らし」を提案する企業だった。

 

 

正直なところ、ここで1~2年のんびり修行させてもらうつもりだった。しかし、零細企業の現実は、そう甘くはない。インターネットブームに乗り、急成長した歪みは、そこかしこで表面化していた。

結局、おとなしく出来たのは、はじめの1か月だけだった。とにかく「仕組み」になっていない。この現実を見て、自分の経験と知識を総動員して、2か月目には組織改革と仕事の仕組化を始めた。

いろいろ腑に落ちないことの多かった前職も、IT企業というだけあって仕組み自体はそれなりに整っていた。課題はその使い方だったのだと、その時はじめて気付かされた。

 

 

当面の課題は、大きく分けて3つだった。

1.行き当たりばったりの商品開発
2.勘と経験による販売戦略
3.おかしな成功体験を持った古株社員

まず、商品開発が無茶苦茶だった。主力のベッドは父がそれなりの戦略をもって商品開発されていたが、残りは仕入れ先の工場のおっちゃんが「これホームセンターで売れてるから、売ってみな~」と行き当たりばったりで持ってきたものを、そのまま売っているだけだった。独自性もなければ、戦略性もない。価格帯もバラバラ。せっかく日本で作っているのに品質管理もなっていない。これで競争に勝ち残ろうと思っている方がおかしい。

販売には戦略すらなかった。モールや広告会社から言われた広告をそのまま買っているだけ。しかも売りやすい安物に高い広告費を投入しまくっていた。たしかに売上は急成長していたが、広告比率は信じられないほど高かった。これで利益が残るはずないと思ったが、会社はなぜかギリギリ黒字だった。(黒字の理由はあとあと分かるのだが…)

そして、この売上が急成長しているというのが一番厄介だった。古株社員は自分たちの成果を誇っていた。もちろん誇りを持つことは素晴らしいのだが、明らかにおかしい場所が多々あるのに、そこに目が行かない。指摘しても、聞く耳を持たない。むしろ自分たちの成功体験を盾に、「何も知らないくせに…」となってしまう。

 

 

知らないというのは恐ろしい。知らないまま運よく成功してしまう事は、さらに恐ろしい。人間は自分の視点と視野でしか世界を見ることはできない。真の成長とは、自分の視野の外にある世界に気付き、自分の小ささを認めることから始まるのだが、プライドがそれを邪魔する。

中途半端な成功体験を共有した組織は、かなり厄介だった。主力社員は全員が抵抗勢力の状態だった。父は見守ってくれていたが、立場上、私の味方という訳でもなかった。実際、父も当初は私の言っていることが理解できなかった様だ。

環境が変わったことで、鬱病はかなり軽減していた。何より、のんびりしている余裕などなかった。何とかしなければ、3年持たないと感じた。この時感じた予感は、その後現実になっていくのだが、まだ誰もそのことに気付いていなかった。もちろん私自身も。

 

 

【今日のドラッカーの言葉】
マネジメントを欠くとき、組織は管理不能となり計画は実行に移されなくなる。(中略) 上司に気に入られることのほうが、成果をあげることよりも重要になる。たとえ製品が優れ、従業員が有能かつ献身的であっても、また上司がいかに偉大な力と魅力をもっていても、組織は、マネジメントという骨格をもつように変身しないかぎり、失敗を重ね、停滞し、坂を下り始める。

<P.F.ドラッカー マネジメント(中)> 

 
<コメント>
ドラッカー教授は、企業がある一定の規模と複雑さに達すると、マネジメントを必要すると言いました。それは硬い皮膚で構造を支える昆虫から、骨格で支える脊椎動物へと変わるような、まったく異なるコンセプトへの変化であると説きます。

50年前に教授がマネジメントを体系化した時代には、この転換期はおよそ300人程度の規模から訪れると書き記しています。しかし知識とITを駆使して働く現代の私たちは、それよりはるかに小さな規模でマネジメントを必要としています。

さまざまな業界で「年商〇〇円の壁」という言葉が聞かれますが、まさにこの壁こそが、マネジメントというコンセプトを導入すべき壁です。変化には苦痛も伴いますが、一人ひとりの献身をより大きな成果につなげるためにも、マネジメントを機能させることが重要なのです。

  

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それは「生きている」と言えるのだろうか?

 (↓↓↓はじめかた読む方はコチラ↓↓↓)

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ここまで3回にわたって私のサラリーマン時代、鬱病になった頃のことを書いてきた。まだまだ書けることはいくらでもあるのだけど、この調子ではドラッカーにたどり着くまで時間がかかりすぎるので、この時代の話は一旦まとめに入る。

 

 

「組織のために、人は大切な何かを犠牲にすべきなのか?」

これが、この時代に芽生えた疑問だった。いや、正確には子供のころから感じていた疑問だったかもしれない。

もっと言うならば、
「社会のために、人は大切な何かを犠牲にすべきなのか?」
となる。

人が、いや自分という存在が、社会のためだけに生きているとするならば、自分の人生などというものは存在しないことになる。単なる社会の歯車でしかなく、自分は自分でなくて良いということになる。

それならば、自分は何のために生きているのか?

 

 

人と人とが手を取り合い協力し合うことはもちろん大切だ。組織も社会も、人と人とが協力しあうという事が大前提となる。しかしそれは、組織のために自分を殺すということと同義ではない。

たしかに組織は存続し続けなければならない。そのためには売上や利益をあげるという事が必要なのも分かる。しかし、組織の存続が目的化し、もっと大切なことが疎かになっていく状況に、見て見ぬふりをして組織に順応していくことが正しいのだろうか?

明らかに、私だけが浮いていた。違う価値観と、考え方を持っているように思えた。言ってはいけない事、「それを言ったらおしまいじゃん・・・」という様なことを平気で口に出す、煙たがられる社員になっていた。

 

 

はじめはただ、「お客様のために」仕事をしたいだけだった。自分が社会の役に立ち、それでお金をいただけることが幸せだった。

しかし現実を見ればみるほど、そして考えれば考えるほど、そのお客様という存在もまた社会の人であり組織の人であるという事に気付いた。大切な何かを妥協して、社会や組織に吞み込まれてしまった人々のように見えてきたのだ。

「お客様のため」「世のため人のため」という思いが、どんどん空虚なものに思えてきた。そして「生きるために働く」という無機質なものだけが手元に残っていった。

 

 

「生きるためだけに生きる」
このことに、何か意味はあるのだろうか?
それは生きていると言えるのだろうか?

高校生から大学生にかけて、身近な人を何人か亡くしていた。人はいつか必ず死を迎えるということが、私の中では当然の事となっていた。やがていつかやってくる死までの時間を、いかに生きるかが問題だった。

 

 

「自分の仕事がお客様を笑顔にする」ということが、当時の私にとっては働き甲斐であり、生きがいを構成する一筋の光だった。しかし、組織も社会も生きるための妥協の産物としか思えなくなった時、その光は光ですらなかったと感じた。

この社会全体が、生きるために生きること、つまり生存欲求の無限ループのように思えた。この社会に自分がなにか貢献しても、それは永遠に続くループの続きを生み出す行為にしか思えなくなった。私が死のうが生きようが、地球と人間が存在する限り、この世界そのものが半永久に続く、欲望の無限地獄のように思えてならなかった。

 

 

いくら考えたところで、なんの光も見えなかった。しかし、ここから落伍することは20代にして社会に順応できなかった挫折を意味することの様に思えた。まだ、挫折を認めたくはなかった。なんとか自分なりに答えを見出そうと、しばらくは努力を続けた。

その頃、親会社に出向するというチャンスをいただいた。大きなステージに上がることで、何らかの光が見えることを期待した。その当時の世界最大のIT企業の一員として、世界最大の製造業をクライアントに仕事をするという機会に恵まれた。

そんな淡い期待は、ものの見事に打ち砕かれる事になる。

 


ある日、クライアントの喫煙コーナーで、その世界最大企業の誇りを胸にしているはずの社員同士がこんな会話をしていた。


「まあお互い、上が納得するように適当にやっときましょう」

タバコ部屋での、何てことない会話。もちろん会話をしている本人同士に、さしたる意図はない。しかしその瞬間、私の内側のどこかで、とてつもなく大きな衝撃が走った。



もはや、そこに居続ける理由は、なにもなかった。親会社への出向が解け、ほどなくして、私は退職を申し出た。残ったものは、「何のために生き、何のために働くのか?」という疑問だけだった。

 

 

【今日のドラッカーの言葉】
私が一三歳のとき、宗教の先生が「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。すると、「答えられると思って聞いたわけではない。でも五〇になっても答えられなければ、人生を無駄にすごしたことになるよ」といった。

<P.F.ドラッカー 非営利組織の経営> 

 
<コメント>
ドラッカー教授は、晩年までこの「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けたと言います。一生を通じて自らに問い続け、自らを刷新し続けました。

人は社会的な存在であると共に、精神的な存在でもあります。両者は時に矛盾し合う関係性となり、どちらか一方を追い求めることは、もう一方を犠牲にする事につながります。20代のころの私が感じたのは、この矛盾への葛藤だったと言えます。

われわれ人間は、あえて「矛盾の中に存在する」ということを選択した存在なのかもしれません。この矛盾を受け入れ、超越する唯一の方法は「自らも無限の存在である」という悟りに希望を見出した、古き聖人の教えにあるように思えます。

私たちが聖人のような悟りに至る必要はありませんが、仕事や人生を通じて自らを刷新し続け、自らを無限の存在へと近づけていくことは宇宙の理にかなっているのだと、ドラッカー教授は知っていたように思えてなりません。

  

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無機質な数字の奴隷になれと言うのか?

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このブログではもうしばらく、過去の自分の視点から書き続けていこうと思う。いま現在の自分の視点から見れば、かなり被害妄想的で恥ずかしくなる部分も多々あるのだが、あえて当時25~7歳くらいだった自分の視野と視点から記述していく。



鬱病になるまで自分を追い込んだ原因の2つ目。それは「内側ばかりを見る組織」への違和感にあった。いま思えば課題はマネジメントの機能不全にあって、特定の個人が悪い訳ではないのだが、当時の私は人の意識の問題ととらえていた。

私のいた業界、つまりIT業界は、外から見る印象と内側の実態が大きくかけ離れた業界のひとつではないかと思う。先進的な働き方をしているようなイメージが先行しているが、実態は建設業界にとてもよく似た、人海戦術で成り立っている業界と言える。

人で成り立っているがゆえに、人にまつわる問題で仕事が進んでいかないことがとても多く、それは次第に大きな疑問となっていった。

 

 

お客様が「話を進めたい」と言ってくれているのに、社内の技術者がまったく動かない。正確には彼らも仕事を抱えていて、能力ある人ほど仕事が集まっているがゆえに、動けない状態になっているだけなのだが、これが何年たっても改善されない。むしろ年々悪化していく。

「営業は人を動かせてナンボ」という社内の雰囲気もあり、人が動かせなければ当然営業としての評価は下がっていく。私自身は本社にいた時代に技術者と個人的なコネクションもあったが、支店の経験しかない営業は私以上に苦しんでいた。見ていて本当に可哀想だった。

その頃、会社の方針変更もあり、従来なら地元の外注業者に出していた案件も、社内の技術者でまかなう様になった。本社の案件と支店の案件では、そもそも規模感が違う。小さな規模の案件ほど後回しにされていく。

技術者は技術者で目標設定をされているから、効率よく目標達成できる案件が優先的に処理されていく。規模の小さな案件より大きな案件、遠くの案件より近くの案件、考える案件より効率的に稼げる案件・・・。

 

 

「お客様が望んでいることが、どんどん実現しづらくなっていく」

効率性と利益を求めれば求めるほど、現場はお客様の要望を叶えづらくなっていった。これが苦痛でならなかった。お客様が「これを改善したい」「新しくこういう取り組みをしたい」「うちの経営方針はこうだから…」と話してくれても、提案すらままならない。なんとか提案し受注にまで至っても、こんどは実現するための技術者が見つからない。


お客様のために貢献することよりも、営業目標という無機質な数字を達成することを求められているようにしか思えなかった。

「おかしくないですか?」
上司だけではなく、かなり上の役員にまで詰め寄ったが、その程度のことで会社の方針が変わるはずもない。

「会社員は、会社の方針に従うもんだ」
誰かに言われたが、まったく納得できなかった。
「言いたいことがあるなら、数字をあげてから言え」
その時点で支店の営業ではNo1だった。そんなに数字がすべてなら、もっと規模の大きな仕事のある場所に移してくれと思った。

 

 

見渡せば、自分の会社だけではなく、業界すべてがこの構造で成り立っていた。クライアント企業を見ても、やはり同じような構造で成り立っていた。

「社会全体が無機質な鎖でお互いを縛り合っている」

広い視野で見渡せば見渡すほど、そのように思えてならなかった。社会人として生きることは、自らの意志で奴隷になることを選択することのようにすら思えた。

「われわれは売上をあげ、利益をあげるために存在するのか?」
「生きることは、自らの意思で社会の奴隷になることなのか?」
「だとしたら、何のために生き、何のために働かなければならないのか?」

疑問のループは止まらなくなった。社会そのものを敵視し、自らを社会から遠ざけるようになった。孤独を選択するようになった。




【今日のドラッカーの言葉】
ミッションを持つことは、激動の世の中でますます重要となる。世界がどう変わろうとも、人は、誇りあるものの一員たることを必要とする。人生と仕事に意味を必要とする。絆と信条の共有を必要とする。予測不能な暗夜にあっては、導きとなる原理、丘の上の灯を必要とする。
人類の歴史上、今日ほど、自由と責任という自治の精神のもとに、意義あるもののために働くことが必要とされているときはない。

<P.F.ドラッカー 経営者に贈る5つの質問> 

 
<コメント>
人類は長い歴史の中で、生存戦略として社会性を選択し、さらには組織によって生産性を高めるという選択をしましたが、決して社会や組織への従属を強いられている訳ではありません。

「組織は道具である」とドラッカー教授は言います。組織のために人がいるのではなく、人が意義あるもののために働くために組織は存在します。ミッションという「丘の上の灯」が示される場所に、人が集うのです。

仕事を通して成果をあげることは、意義あるもののために働くための前提条件と言えます。一人ひとりが意義ある生き方を手に入れるために、個々人が「成果への責任」を共有している共同体、それが組織なのです。

 

 

 

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東京 新橋 :2月8日(水)18:00~

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広島    :2月11日(土)19:00~

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「目的なき目標」ほど、無意味なものはない。

(↓↓↓前回から読む方はコチラ↓↓↓)

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なぜ当時の私は鬱病になるまで自分を追い込んだのか? あとあと振り返ればいくつもの要因が重なっているのだが、原因のひとつは「目的なき目標管理」だったように思う。会社の経営陣からマネージャー、そして私自身。だれもが目的を喪失したまま目標を追いかけていた。

 

 

私のいた会社は、いわゆる国策企業だった。1980年代の日米貿易摩擦の結果、国策によって設立された企業であり、そもそも市場における何らかのニーズを基礎として設立された訳ではない。

一般的な企業では「われわれの会社は〇〇のために存在する」というミッションが存在するはずのところ、私のいた会社はこの部分が「国策」でしかなかった。(組織のミッションは一応言葉として定義されていたが、誰ひとりとしてそのミッションを意識してはいなかった) つまり、そもそもの設立意義・存在意義が、とても薄い会社だった。

さらには、全役員が全く文化の異なる2つの親会社からの出向・転籍組だった。中には心ある役員の方もいたが、3~5年後に退職を控えた役員の多くは、将来より現在を、目的よりも目の前の目標達成を重視していた。真の成果を追求することよりも、目の前の人間関係を重視していた。

このような組織風土の中で、形ばかりの目標管理が行われていた。目的なき目標が設定され、昨年より今年、今年より来年と成長することが求められた。なんのために成長するのか? どこに向かって成長するのか? 一切の方向性は置き去りのまま、ただ人事評価のために成長目標と数値目標が管理されていた。

 

 

「目的の欠けた目標」ほど、無意味なものはない。そして無意味なものを追いかけ続ける事ほど、人を腐らせるものもない。しかし人は「肉体の死」という根源的な恐怖ゆえに、この「精神の自死」とも呼べる環境を、いとも簡単に受け入れる。

組織そのものは、確かに目標さえ達成し続ければ存続できる(ように見える)。組織さえ存続していれば、個人はひとまず「肉体の死」という根源的な恐怖からは目を背けることができる。

組織のニーズと個人のニーズが、ここで合致する。

いつしか組織の存続そのものが目的化し、目標達成が目的化し、そこにいる人々は組織に従属するか否かを選ぶようになる。あとに残るのは、精神の死を選択したゾンビの集団にほかならない。

私には、まるで社会全体がゾンビ集団のように見えた。肉体の存続を目的とし、精神を殺して生きる選択をした人を「社会人」や「大人」と呼ぶならば、私は「社会不適合者」の「子供」でいいと思った。

 

 

こうして私は、自らに「社会不適合者」というレッテルを貼った。そうする以外に自分の精神を保つ方法がなかった。

組織で働く意味を見失い、社会の存在意義すら疑うようになり、その中で生き続ける自分という存在の意義も分からなくなった。生きている自分にまったく意味を見いだせず、そうは言っても死ぬわけにもいかない。

結果として、自分自身がゾンビとなった。もはや生きてもいないが死んでもいない、ただの肉の塊だった。社会・組織・自分自身のすべてを否定しながら、自分自身の何かを必死に守ろうとしていた。

どこにも出口のない闇の中に堕ち、一筋の光を探す旅が始まった。





【今日のドラッカーの言葉】
動機づけ、とくに知識労働者の動機づけは、ボランティアの動機づけと同じである。周知のように、ボランティアは、まさに報酬を手にしないがゆえに、仕事そのものから満足を得なければならない。何にもまして、挑戦の機会を与えられなければならない。組織の使命を知り、それを最高のものと信じられなければならない。よりよい仕事のための訓練を受けられなければならない。成果を理解できなければならない。

<P.F.ドラッカー 明日を支配するもの> 

 
<コメント>
人は行動するために何らかの意味づけを必要とする存在です。人間は物事や行為に自ら意味づけを行うと同時に、そこで意味づけされたものを再利用しながら生きています。「有意味」や「無意味」というレッテルは人が勝手に貼ったものであり、本来、意味そのものには何の意味もないのですが、われわれ人間は自ら定義した「意味」の “ありやなしや” に一喜一憂する、不思議な生き物なのです。

組織が人のエネルギーを活用して成果をあげるためには、この「意味づけ」を必要とします。そこで働く一人ひとりが、自らの仕事によって社会に貢献し、働くことを通して自己成長につながっているという実感が必要なのです。

マネジメントの目的は、人や仕事を管理することではありません。人のエネルギーを創造することです。人だけが持つ無限の創造性を発揮せしめることを通して、意味づけを超えた人生の根源的な意味のようなものに人はたどり着けるということを、ドラッカー教授は知っていたのではないかと思います。

 

 

 

続きを読む

何のために働くのか、それが分からなくなった日のこと。

 「鬱病ですね…。中程度です」
目の前にいる医者は、たしかそう言ったと思う。

その頃の記憶はあまり残っていない。はっきりした日付も定かではない。たしか2004年~05年の寒い時期だったはずなので、およそ12年前の事だったと思う。

 

 

入社4年目のサラリーマンだった。学生時代のアルバイトで、人を笑顔にする喜びを知った。そこまで4年間、がむしゃらに働いていた。自分で言うのも難だが、成績も業績評価も良い方だった。

転機は、名古屋への転勤だった。

正直、驚いた。あまりにも低い支店のモチベーション。中途半端な仕事ぶり。言われたことすら出来ていなくても、それが当たり前という雰囲気。腐っていると思った。

「この人たちは、何のために生きているんだろう?」

人を喜ばせることも、自らを成長させることも、何かを目指すこともなく、生きるためだけに会社にぶら下がっている様に見えた。

 

 

当時の上司に、そのまま聞いてみた。
「何のために働いているんですか?」

答えは、こうだった。
「お前、俺のことをバカにしてるのか?」
ものすごい剣幕で怒られたのを覚えている。

いま思えば、これを聞いた頃には、すでに心が闇に包まれ始めていたのだと思う。聞いたらこうなる事くらい、正常な判断能力を持っていれば分かることだ。しかし、その時はどうしても聞かずにはいられなかった。

それからしばらく経って、頭の中のぐるぐるが止まらなくなった。
「自分は何のために生きるのか?」
「何のために働くのか?」
この答えを探すことが、すべてにおける最優先となった。


仕事が手につかなくなり、
人生から楽しみや喜びが喪失し、
人と話すことも面倒だった。
生き続けることすら苦痛になった。

 

 

専門家ではないので、鬱病の正確な定義は知らない。
しかし、私の経験から言うならば、こういう状態だ。

「人生から、すべての意味が喪失する病」

心の風邪なんて軽いもんじゃない。
そのネーミングをした人は、鬱病のことを何も知らないとしか思えない。
私は結果としてこの闇の無限ループから抜け出せたけど、
一生抜けられない人もいるのではないかと思う。

「病み」とは「闇」なのである。
この世界の無意味さに気付いてしまうことは、
一種の絶望にほかならない。

 

 

マグロは泳ぐことをやめた瞬間に、
呼吸ができなくなって死んでしまうと言う。
人間もまさに同じで、
働くことをやめたら死んでしまう存在だ。

「もっとも残酷な刑罰は、徹底的に無益で無意味な労働をさせることだ」
と、ある作家は書いたという。

しかし、この世界は諸行無常であるがゆえに、
働いた結果生まれたものは、すべて消えていく。
これが現実だ。

生きるために社会に参画するが、
社会そのものに何か意味が存在する訳ではない。

われわれ人間が生きるための活動自体が、
まさに拷問のように思えた。

働かなければ生きていけないが、
働くことそのものに意味はない。

これが私の直面した世界だった。

 

 

あとあと知ったことだが、
「人は何のために生き、何のために働くのか?」
は、古くから宗教家や哲学者が追い続けた究極のテーマだった。

その答えは人の数だけ無数にある。
しかし、逆にひとつしか無いとも言える。

「人生とは、無限そのものへと近づいていく旅路」
これが私のいま得ている答えだ。
いま時点の答えであると共に、おそらく一生変わらない。

無限を表現する方法は、この世界には存在しない。
だからこそ、さまざまな人が、さまざまな言葉で
表現するということを続けてきたのだろう。

私も、それにならってみようと思う。
私ひとりでは心もとないので、ドラッカーの言葉を借りながら。

 

 

【今日のドラッカーの言葉】
人にとって、働くことは重荷であるとともに本性である。呪いであるとともに祝福である。それは人格の延長である。自己実現である。自らを定義し、自らの価値を測り、自らの人間性を知るための手段である。

<P.F.ドラッカー マネジメント【エッセンシャル版】> 

 
<コメント>
生きることと働くことは、少なくとも現代社会では切り離すことが難しい存在です。私がかつて感じたように、人生では時に仕事そのものが無意味と感じられる事すら存在し、それでも決して逃げることの出来ない存在であるがゆえに、一種の「呪い」と呼べるのかもしれません。

しかし、働くことの奥には「無限」へとつながる扉があります。かつての日本人はすべての仕事に「道」を見出しました。武道、茶道をはじめ、すべての仕事は究めればその奥に宇宙へとつながる世界があるのです。深遠な叡知につながることは人生最上の喜びであり、それは「祝福」でもあります。

生きること、働くことを自らにとっての機会とし、本質を磨くことこそが、真の自己実現と呼べるのです。

 

 

 

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